とーしばブログ

こんにちは、とーしばブログのとしです。オーストラリア、ニュージーランド、カナダの3カ国でのワーホリの体験談、フィリピン、マレーシアでの留学経験。読書や勉強で得た知識や考えやニュージーランドでの投資についてブログで発信しています。

学校教育のおかしいところ/ 学校は労働者の生産工場である理由

こんにちは、とーしばブログのとしです 

今回は【学校教育のおかしいところ/ 学校は労働者の生産工場である理由】というテーマです。

 

海外でいろんな経験を積んで自分の学生時代を振り返り学校について考えてみました。

学生だった頃には考えたことなかったですが、今考えると学校って労働者マインドを作る工場みたいな感じだなと思いました。

今回はなぜそう思ったのかを詳しく話していきたいと思います。

 

*しかし、学校の存在を否定したり学校に行くな!!とか 学校は無駄だ!! と言いたいわけではなく、あくまで学校の役割というのを考察してみました。

 

学校は労働者マインドを育てる場所

僕は学校って社会的には労働ロボットの生産ラインのような役割だと思っています。

学校というのはいわば、まじめに働く労働者マインドの学生を作り、会社のために働いて利益を出す人材を作る場所です。

 

学校でやってたことを考えると、学校は言われたことを正確にできる従順なロボットを作るような場所に思いました。

 

  • 遅刻せずに学校に時間通りに来ること
  • 先生の言うことに従うこと
  • 部活の先生や先輩に敬語を使い、言う事を聞くこと
  • テストでいい点数を取りいい成績を出すこと
  • 授業をサボったり先生の言うことを寝ずに聞くこと
  • 授業で黒板に書かれている通りに正確に書き写すこと
  • 服装や髪型など、学校が決めた基準に従うこと

 

などなど いろいろな決まりがありますが、いくつか例を上げました。

今から思えばですが、学校で習ったこと全てが会社で働く為にできています。

 

  • 遅刻せずに学校に時間通りに来ること

遅刻せずに時間通りに学校に来ないといけないですが、これも決まった時間に会社に来る訓練です

学校の頃から時間通りに来ることを生徒は学びます。

 

 

  • 先生の言うことに従うこと

先生は昔は偉い存在で正しいって思ってましたし 学校で一番影響力のある存在だと思います。

今考えると先生も人間なので間違ってることもあるし、すべて正しい人なんていないんですが先生の言うことは当時は正しいと思ってました。

 

 

  • 部活の先生や先輩に敬語を使い、言う事を聞くこと

部活では先輩という一歳か二歳しか違わないような人にも敬語を使うことを学びます。 先生にももちろん敬語です。ここで上下関係や社会に出たときに上司や先輩の言うことを聞いて従うマインドが作られます。

 

 

  • テストでいい点数を取りいい成績を出すこと

授業で勉強をしてテストを受けます。指示された範囲をいかに(勉強)暗記できたかをテストで判断します。よく学ぶ内容があまり社会に出て役立たないって言われますが、指示されたことを正確にこなす訓練だと思います。

 

  • 授業をサボったり先生の言うことを寝ずに聞くこと

学校や授業に時間通りに来ないといけないですよね? 授業中に先生がいくら眠たい退屈な授業をしてても寝ずに聞かないといけません。これも上の指示を聞いて淡々と作業をこなす訓練だと思います

働く人がサボったり、眠ってしまって仕事をしていないってなったら会社側は困りますよね?

 

  • 授業で黒板に書かれている通りに正確に書き写すこと

先生が黒板に書いてあるそのままを正確に書き写しますが、よく考えたら教科に最初から書いてますよね? 作業としては無駄だと思うんですが、会社でも会議だったり仕事のメモだったり、やっぱり真面目に言われたことをするための訓練だと思います

 

  • 服装や髪型など、学校が決めた基準に従うこと

髪は黒色、茶髪は禁止、地毛が茶色がかっていたら証明書を書かないといけない 髪の長さは長すぎない、髪が長すぎると頭髪検査で引っかかり切らないといけない。  制服も規則が決まってて、ズボンやスカートの長さや制服の着方が学校ごとに定められてます。これも会社でスーツで規定通りに働くための準備です。

 

学校という労働者マインドの生産工場

工場で言えば、必要なパーツ(働くマインド)を取り付けたり、仕分け(進路指導)したり、製品(生徒)を管理したりします。 

授業という決められた工程を経て、テストで点数をつけて振り分けをされ、進路指導で行く会社や進路を仕分けされていく。

 

そのなかで授業やテストや受験でだんだんと会社のランクというか出荷先が選り分けられ決められます。

 

A社に納品される生徒はこれくらいの成績で、B社はB大学の工程を通過して納品 C社はこれくらいのクオリティの生徒 D社はこれくらい みたいに成績や学歴などに応じて変わってきます。

 

生徒指導とかって工場のラインに例えると、検品みたいな感じで、よくない品質の生徒を選り分けて 生徒指導で不良品を検品して、直したり修正したりします。

 

工場の製品なら出荷する前に不備のある製品を検品して、取り除いたり、悪い部分を直したりとかですね

 

髪は黒色、茶髪は厳禁、髪の長さは何センチ、髪が長すぎると頭髪検査で引っかかる。 これもある意味 工場の検査工程。 制服も規則が決まってて、これも将来、会社でスーツで通勤するための準備工程。

 

卒業するときには、生徒はだいたい均一な水準に近くなりますよね?  

同じ髪色、同じ制服 先生や先輩には従順にまじめに礼儀正しい みたいなマインドを持ち、テストの成績や部活の成績で可視化、数値化されます。

卒業するころには立派な社会人という製品になる。そして半分自発的に半分は周りの空気や流れで企業に就職していきます。

 

学校は工場で優秀な人材というか労働者、働いてくれる人を生産して、まじめに働くマインドを持った人を量産します。

 

成績やテストごとに出荷する先が決まり、忠実な働き手として会社のために働くようになります。

 

学校で労働者マインドを作ることにより、上司や先輩の言うことを聞き、会社の制服やスーツを着て、時間通りに出社して残業にも不平不満を言わない社員の下地ができます。

 

石の上にも三年の意図

高校生の頃に工業高校だったこともあり、就職説明会で担当の先生が「石の上にも三年」ということをよく言ってました。

つまり、最低3年は同じ場所にいた方がいいという意味です。たしかに会社からしたら入社した社員がすぐ辞められては困りますからね。つまり会社の都合を考えた教育をされるんです。

 

学校でされた水の心の話

他にも水の心という説明もありました。これも良い話でも何でもなく「水はコップや花瓶など、どんな器の形にも形を変えて収まる」という意味の説明をしていましたが。要するに企業に全て合わせなさいという意味です。考え方としては、全ては会社優先で個人は二の次ということですよね?

こういう例え話ですら、企業の都合の良い話が小中高で定期的にされるんですね。

 

アリとキリギリスの話の意図

僕のいた小学校では、毎年夏休み、冬休みの前の全校集会でアリとキリギリスをしていました。

これも勤勉の素晴らしさと怠けることへの戒めです。

「ずっと怠けていたら後から大変なことになるぞ」という昔話です。夏休み、冬休みの宿題も会社で働く時の訓練みたいなものですから、決められた納期に合わせて課題(仕事)をこなしなさいという会社と学校からのメッセージです。

 

このように、これでもかというくらいに社畜マインドが小さい時から無意識に植え付けられるんですね。

学校の先生たちもどれだけその意図を分かっていたのか知りませんが、社会人としての自覚やマナー、礼儀などをしつこいくらいに学校で教えられます。

 

「腐ったみかんは取り除かないといけない」は学校の【本質】を表している

金八先生のドラマの言葉で「腐ったみかんは取り除かないといけない」という有名なセルフがあります。

 

これってある意味で【学校の本質】を表しているように思います。

箱にある【腐ったみかん】はちゃんと取り除いて、ちゃんと箱に決められた数のみかんだけを詰めて出荷先に出さないといけないんです。

学校で反抗的な生徒を不良と呼ぶのも工場の不良品も同じ意味です。学校という労働者育成工場では不良はまさに不良品なんですね。

そこに不備があったり、企業に出荷するのに不良品があったらダメなわけです。

 

学校では同じ服装(制服)と決められた髪型をして、学校のルールや規律に従って動いて、先生や先輩の言うことをよく聞いて、あいさつをしっかりしてなど、会社が使いやすい人材を育成する場所です。

 

理不尽ことを言われても耐え、目上の人に対して礼儀正しく反論するような意見は言わない、 上の人から言われたことを正しいと思い実行するという人材が出来上がります。

 

そういう点からみても学校は改めて考えるとずっと会社で働き続ける優秀な人材を育成する工場だなと思いました。

 

しかも学校は政府が教育方針やカリキュラムを考えたりするわけですから、国家と企業が結託して会社のための社畜人材を育成しているんですね。

 

 

最後に

 

今回は学校について批判して書いてみましたが、 もちろんメリットはありますしクラスで友達を作ったり、基礎的な勉強をしたり、学校やクラスで活動することは人間的に成長できる場です。
 

しかし、今の学校は時代にあってない部分も振り返るとあったし、学校の役割についても大人になってから考えました。

もし学校のあり方に疑問を持つ人や 不満を持つ人 おかしいなと思う人の参考になればと思います。