こんにちは、とーしばブログのトシです。
今回はオーストラリアの歴史について少し触れます。オーストラリアへワーホリや留学に行く前にぜひ知っておきたい歴史です。
今回は白豪主義(White Australia Policy)について簡単に解説します。
白豪主義(White Australia Policy)とは?
白豪主義政策(White Australia policy) とは、1901年〜1973年ごろまで続いた移民制限法です。
イギリス本国やヨーロッパからの移民を優遇して、アジアからの移民とオーストラリアやニュージーランド周辺のポリネシア諸島からの移民を制限する政府の政策です。この政策は第二次世界大戦の終結まで行われていました。
オーストラリアのゴールドラッシュが白豪主義のきっかけになった
白豪主義のそもそものきっかけになったのが、シドニーとメルボルンで起こったゴールドラッシュです。つまり金鉱山の発見ですね。
日本でもジョン万次郎が幕末時代にカリフォルニアのゴールドラッシュで働いて大金をゲットした話が大河ドラマとかに出てきますが、正にそんな感じです。
金の発見で、一攫千金を求めてアジアからの移民がオーストラリアに押し寄せたんですね。
⇒当然、もともといたオーストラリア人と競争になり現地の人の不満が高まります。怒った地元住民はデモをしたり抗議します。
アジア系の移民は安い働き手として、ポリネシア系移民は主にクイーンズランド州など暑い地域での安い働き手として、オーストラリアの発展にも貢献していました。
しかし、地元住民たちからの反発や抗議でオーストラリア政府は移民の制限を行います。
- 白豪主義の宣伝のための反アジア移民のポスターや反移民グループ、ホワイトオーストラリアを宣伝する商品などもあったようです。
第二次世界大戦後のオーストラリア
第二次世界大戦後は、ヨーロッパ以外の移民にたいしても少しずつ寛容になっていき次第に白豪主義政策は終わりを迎えます。
第二次世界大戦中では、戦場から逃れて来たたくさんの難民を受け入れ、冷戦ではベトナム戦争の難民を受け入れました。
僕もシドニーで働いていた時ベトナムのおじさんやおばちゃん達と働いていましたが、ベトナム戦争から逃れてオーストラリアに来たという人もいました。
現在のオーストラリア
戦後のオーストラリアは他民族国家として移民を受け入れる政策を取っています。そして白豪主義自体は終わりましたが、まだまだ一部のオーストラリア人の意識の中には白豪主義が残っているような気がします。
オーストラリアの全ての人が差別的というわけでないのですが、少数のオーストラリア人は移民にたいして良い感情を持っていないのはこのためです。
最後に
ワーホリや留学に行く上で少しでも歴史を知っておくことは大切です。今回は白豪主義(White Australia policy) について解説しました。
こういう歴史を知ることでワーホリ や留学をより有意義にできると思います。