こんにちは とーしばブログのトシです。
今回はオーストラリアとニュージーランドの超有名な偉人ジェームズ・クックについて解説していきたいと思います。
探検家ジェームズ・クックの功績
彼は、3度の世界一周によりカナダの東側ニューファンドランド島の測量、ニュージーランド、オーストラリアの東海岸、南極大陸、ハワイ島を探索します。
今回は、貧しい農家の子供だった彼がいかにして超有名な偉人になったのか?を解説していきます。
無名の水兵からの大出世
ジェームズ・クックは貧しい農家の息子でした。
石炭船で船乗りとして働き、海軍でのキャリアをスタートしたの10代の頃からです。その頃はまだ無名な水兵でした。
そして彼の出世のきっかけになったのが、イギリス(大英帝国) VS フランス 7年戦争でした。
この戦いで能力を認められ海軍・士官に任命されます。
そしてカナダ東海岸にあるセントローレンス川の測量をイギリス海軍から命じられます。
⇒このことがカナダでのフランスとの戦争に重大な影響を与えます。
そのあともカナダ東海岸のニューファンドランド島を1年かけて測量します。この島は霧が深いことで有名で冬は極寒の船乗りにとってはとても危険な島です。そんな危険は任務を見事に遂行したのがジェームズ・クックでした。
(カナダ東部の島ニューファンドランド島)
未知の大陸オーストラリアへ
これら功績が評価されジェームズ・クックはイギリス海軍から南方にある
未知の大陸【テラ・オーストラリス】(後のオーストラリア)へと航海を命じられます。
ヨーロッパでは、古くから南には伝説の大陸があると信じられていました。
オーストラリアへの航海で偶然にもニュージーランド島を発見し、半年かけてニュージーランドの地図を作成します。
そして、ついにヨーロッパ人として初めてオーストラリア東海岸へ到達しました。
[オーストラリア一周は後にマシュー・フリンダースにより達成されます。]
オーストラリアの名付け親【マシュー・フリンダース】オーストラリアワーホリで知っておきたいこと - とーしばブログ
そのジェームズ・クックが初めて上陸したのがシドニーの南側ボタニーベイです。
↑[ここから現代のオーストラリアの歴史が始まりました。]
グレードバリアリーフで座礁 カンガルーの発見
しかし、オーストラリアからイギリス本土へ帰国しようとした時、船がグレードバリアリーフで座礁して船を修理しなければなりませんでした。 やむなく船を修理するため再びオーストラリアに上陸します。
その時に先住民アボリジニー達から教えてもらった奇妙な飛び跳ねる動物こそが、カンガルーGangurru でした。
このGangurru カンガルーという名前はもともと、クイーンズランド州に住む先住民の言葉(グーグ・イミディル語)です。その他にもアボリジニーは250の言語を持っていたらしいです。
ジェームズ・クックは合計3回もの世界一周の航海によりオーストラリアとニュージーランド、ハワイ島、南極を探検します。
この三度にわたる世界一周を成し遂げたのは、ジェームズ・クックの優れた航海士としての能力があったからこそだと言われています。
ジェームズ・クックは3度目の航海でハワイ島を訪れたときに先住民から歓迎を受けます。
しかし次第に両者の関係が悪くなっていきトラブルが続くようになりました。そしてジェームズ・クックは先住民との戦いで亡くなります。享年50歳の生涯に幕を下ろしました。
彼の遺体はハワイの伝統的な方法で埋蔵されました。
最後に
その後の世界に多大な貢献をしたジェームズ・クックは貧しい農家の子供から、最終的には世界史に名を残すほどの偉人となりました。
今回は類まれな才能を開花させ、オーストラリア、ニュージーランド、ハワイ、南極、カナダ東海岸を探検したジェームズ・クック船長の生涯を紹介しました。