こんにちは、とーしばブログのトシです。毎年、1月26日はオーストラリアデーです。
オーストラリアデーとはオーストラリアの建国記念日であり祝日です。
その日は、家族や友達とバーベキューパーティーをしたり、ビーチでくつろいだり、夜には花火が上がったりします。
ワーホリでシドニーに住んでいた頃、友達とオーストラリアの旗を持ってお祝いしました。
オーストラリアではオーストラリアの旗を振ったしてお祝いするんですが、なかなか日本では見かけない光景ですね。
しかし、オーストラリアには複雑な歴史があって、アメリカやカナダと同様に入植者の手によって、古くから現地に住んでいた人々が追い出されたり、殺害されたりした歴史があります。
今回のブログでは、オーストラリアデーを否定したり、貶める意図はなく、いろいろなバックグラウンドや歴史を理解するのに役立ててもらえればと思います。
オーストラリアデー反対のデモ
オーストラリアデーとは、1788年にイギリスの7隻の船がシドニー湾に入港した日のことを言います。オーストラリアに入港してオーストラリアという国を建国した建国記念日で、
We are a Australian という歌の冒頭には、I stood upon the rocky shores, I watched the tall ships come という部分がありますが、この一節はイギリスの入植者がやってきたことを表しています。
We are Australian
そして、オーストラリアデーとは、5万年前からオーストラリアに住んでいたアボリジニーの人々にとっては、侵略の始まりの日なんです。
2021年1月26日、コロナ禍でも、オーストラリアのシドニーやメルボルンなどの都市では2000人〜3000人の人々がオーストラリアデーに対して抗議しました。
Black Lives Matter運動をきっかけに歴史を見直そうという動きが世界的に広がっているようです。
オーストラリアでは、抗議デモで、''always was, always will be Aboriginal land” 「常にアボリジニの土地であった」というスローガンが掲げられています。この運動ではオーストラリアデーの廃止を訴えています。
BLM運動とはいわば、黒人差別に反対する運動であると同時に、植民地化や侵略の歴史を見直そうという運動なのかもしれません。少し前に取り上げたレオポルド2世はコンゴ支配の象徴であり、ベルギーでは像を引き倒されました。
キャプションオーストラリアの日が物議を醸す理由(2018年に公開)
Australia Day: Thousands defy Covid rules in 'Invasion Day' protests - BBC News
オーストラリアデーは植民地化の始まりの日
オーストラリアデーとは、いわば植民地化の始まりの日。前回、紹介したジェームズクックも裏を返せば植民地支配の象徴的な人物です。
オーストラリアの植民地化により、アボリジニーの人々は住んでいた土地を没収されました。
シドニーにいたアボリジニーは、シドニーの植民地化から70年足らずで、そこで暮らしていたアボリジニーの人たちが死滅したと言われています。
イギリスの入植者は、当時の最新式のマスケット銃や大砲、馬を持っていたので、抵抗しようとしたアボリジニーの人々は殺されるか、投獄されました。アボリジニーの女性が入植者にさらわれる事件が多発して、性的な搾取を受けたり、入植者が持ち込んだ疫病に苦しめられたり、住んでいた土地を勝手に家畜用の土地にしたり、そして当時の間違った人種論によって多くの人が虐殺されました。
人種論といえば、ナチスドイツが有名ですが、オーストラリアでも人種論や白人至上主義によって、たくさんの人が犠牲になった歴史があります。
ウルルへの登山禁止の背景
2019年10月、ウルル(エアーズロック)への登山が禁止になりましたが、これも最近の話です。
ようやくオーストラリア政府が、この土地に古くから住んでいたアナング族の人々の主張を正式に受け入れたのですが、1985年のウルル返還から登山禁止までの間、アナング族の人々にとっては長い道のりだったのでは無いかと思います。
僕はウルルには登りませんでしたが、ワーホリで滞在していた頃はこういった背景を考えていませんでした。
オーストラリアに滞在しているとわかるのですが、都市部と郊外にはイギリス系の名前が付いていますが、オーストラリアの奥地に行くと現地のアボリジニーの人の言葉が地名として残っています。
もともとはアボリジニーの土地だった場所にイギリス系の人々が住んで徐々に植民地化されていった名残があることが分かります。
『裸足の1500マイル』はオーストラリアの歴史を理解する上でとても役に立った本です。これからワーホリに行く人はぜひ読んでみてください。
この本の冒頭部分には、オーストラリアの植民地化の歴史について触れられています。
- このいにしえの森に大勢の悲痛な叫び声が響きわたり、絶え間なくすすりなく声が聞こえ、外国からの侵略者に苦しみ、そして、自分たちの土地を追われる日が来ようとは、、考えもしなかった。
- 侵略者たちは、南部地域に住むアボリジニーに遭遇した時、部族の人たちが気さくで親切な人柄だったのを喜んだ。
- やがて、アボリジニーが自分たち白人を先祖の霊ゲンガと思い込み尊敬していると気づくようになった。
- 西オーストラリアの先住民を含め、アボリジニーたちはみんなヨーロッパから入植者が入ってくると、どういう状態になるのかだんだんと気づくようになっていた。自分たちの伝統文化は踏みにじられ土地も失ってしまうのだ。
- アボリジニーの生活基盤はこの時すでに、崩れ始めたというよりも、完全に崩壊していた。
- ヨーロッパ人は、さらに内陸部へと分け入り、まるで燃え広がる野火のように、ひたすら侵略し続けた。
- 住みかを追われて全地域のアボリジニー土地を奪われ、虐げられた人種となった。白人は精霊などではなく、ただの人間だったと今ごろ気づいても、もはや手遅れだった。
- 土地を奪われてしまった今、伝統ある法の守り手であり継承者だったアボリジニーはそれを実行できなかった。
- 歌や踊りを忘れてはいないが今では禁止され、政府から命令があった時にしかできなかった。
などオーストラリア植民地化の様子がこの本では述べらています。先祖代々の文化や土地を奪われて、土地を追われた人々の様子が伝わってきます。
アボリジニーの現状
ワーホリでシドニーにいた頃、こうしてオペラハウスがあるサーキュラーキーで伝統音楽を演奏しているアボリジニーの人たちを時々見かけました。
しかしアボリジニーの置かれている立場は、決して良いものではなく、賃金も低く、教育レベルも十分でないという問題があります。ヨーロッパ文化に帰化したことでアボリジニーのアイデンティティを失う人がいたり。一方でヨーロッパ化を懸念して教育を自ら拒否する人もいます。そして若者の自殺率が高いことや少年犯罪率の高さも問題視されています。
アボリジニーの人々の失業率や貧困率の高さも問題になっています。一見、雇用格差は無いように思えますが、アボリジニーだということを公表せずに就職活動をしないと就職に不利になるという見えない差別意識がオーストラリア社会には未だにあるとのこと。
そして都市部に帰化したアボリジニーと先祖代々の土地に住むアボリジニーとの間にも格差があります。
先祖代々の土地に住むアボリジニーは政府から給付金を受け取って生活している人もいますが、ドラックやアルコールに溺れて事件を起こす人もいたり、ただ単に政府が給付金を出せば解決できるというものでは無さそうです。
アボリジニーはアグレッシブで危ないということをワーホリでもたまに聞きますが、それはアボリジニーの社会背景や歴史の問題が原因で起こっているんです。
そして、こういった見えにくい社会問題も、今回のオーストラリアデー反対の抗議デモの背景にあるのでは無いかと思います。