こんにちは、とーしばブログのとしです。今回はマレーシア・シンガポール留学、移住で知っておきたい日本軍占領下のマレーシア・シンガポールの歴史についてです。
英語が安く学べるということもあって、フィリピン留学をはじめ、マレーシアやシンガポールで英語留学をする人が増えてきています。さらにシンガポールでは英語と中国語の両方が学べるとあって注目されています。僕も過去にマレーシアのクアラルンプールに3ヶ月間、英語留学に行ってました。
日本に働きに来たり、観光に来るアジア諸国の人も年々増加しているので知っていて損はないと思います。
なにより、様々な場面で留学やワーホリに行くとアジア系の若い人達と知り合ったり英語で話す機会があります。
そしてアジア系の友達がいつも口を揃えて言うのが、日本がアジアの国々を植民地支配していた歴史を日本人の多くが知らないということです。
実際に日本の大半の学校は、日本がアジアを植民地化していた歴史について、ほとんど教えません。僕も本当に最近まで日本軍占領下のアジアの歴史について全く知りませんでした。
海外にいると視野が広くなるということをブログ内でもよく言いますが、こういう自分が無知だったということを体験する機会も多くあります。
しかも、日本の戦争の歴史は前回も取り上げたように、日本すごい系や愛国系コンテンツの影響で、日本がアジアを侵略していたことや無実の人々を虐殺をしていたことを否定する人が増えています。
そこで最近、図書館で借りて読んだ本でマレーシアやシンガポールの歴史について知る機会がありました。ワーホリや留学、海外移住など、そこでいろいろな国の人々と知り合った時にぜひ役立てて欲しい知識です。
そして残念ながら、日本では日本軍占領下のアジアの歴史は、かなりマイナーで認識が曖昧な歴史の分野です。
日本の学校で教えたり、映画やドラマやテレビ番組で扱うテーマといえば、広島、長崎の原子爆弾や特攻隊、沖縄戦や本土空襲などです。
これらの本は日本史で、ほとんど扱われない太平洋戦争でのマレーシアとシンガポールの日本軍占領時代の歴史について書かれています。マレーシアやシンガポールに行く機会がある人には一読をオススメします。
太平洋戦争はマレーシアのコタバルから始まった?
日本人の多くは真珠湾から太平洋戦争が始まったと学校で教わるのですが、マレーシアのコタバルから太平洋戦争は始まりました。
これが日本は真珠湾攻撃でアメリカと戦争をしたという歴史感が意図的に作られたということを示しています。
その証拠に、太平洋戦争開戦のラジオ放送のアナウンスで注目して欲しいのが、西太平洋という部分です。これが実はマレーシアにいるイギリス軍を攻撃したということを指しています。もしも太平洋戦争が真珠湾から始まったなら東太平洋となるはずですよね?
12月8日(アメリカでは12月7日)から始まった太平洋戦争、真珠湾攻撃だけでなく、マレーシア、香港も奇襲攻撃されたのにも関わらず、日本人の多くは真珠湾から太平洋戦争が始まったと思っています。
以下、太平洋戦争開戦放送
臨時ニュースを申し上げます。臨時ニュースを申し上げます。大本営陸海軍部、十二月八日午前六時発表。帝国陸海軍は本八日未明、西太平洋においてアメリカ、イギリス軍と戦闘状態に入れり。
↑この西太平洋という部分に注目してください。真珠湾は日本から見ると東のはず
マレー半島に侵攻した日本軍
日本軍は真珠湾攻撃より3時間も前にマレー半島、コタバルから奇襲攻撃を開始します。
イギリス・オーストラリア連合軍と現地の義勇軍の激しい抵抗に遭いながらも、日本軍は破竹の勢いでシンガポールに上陸します。
さらにクアンタン沖にいたイギリス海軍の戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルスが日本軍の空襲により撃沈します。
日本軍はわずか2ヶ月ほどでイギリス軍の一大拠点シンガポールを陥落させます。難攻不落のイギリス軍の要塞と呼ばれたシンガポールですが、マレー半島から上陸してきた日本軍の奇襲攻撃であえなく降伏しました。
イギリス軍は旧フォード工場で降伏文書にサインをします。これが有名な山下将軍の「降伏するのか?イエスかノーか?」の問答です。
日本軍はマレーシア、シンガポール陥落後、中華系への粛清を決定。各師団にシンガポール区画にいる中華系住民の逮捕と処刑を命令します。華僑登記証という記録を作るという名目で、ジャラン・ブサール、タンジュン・パーガーなど、市内数カ所にシンガポール住民を集めました。 そして【敵性華僑】と断定された人々は日本軍に連れ去られて処刑されました。これが[大検証]と呼ばれる日本軍によるシンガポール人大虐殺です。
マレーシア・シンガポール留学で知っておきたい歴史
日本軍から一方的に攻撃を受けたマレーシアとシンガポール。日本軍は手始めに一般市民が住むシンガポールを攻撃目標として爆撃しています。シンガポールにはイギリス軍の他にも多くの市民が避難していました。第二次世界大戦でドイツ軍がヨーロッパで無差別爆撃を行ったように、日本軍も無抵抗のシンガポール市民に大規模な爆撃を行っています。
さらに日中戦争に協力したと疑われて、全く戦争に関係ない中華系の人達も日本軍に容赦なく捕らえられ連行されて殺されています。
日本軍が通る村はことごとく焼き払われたり掠奪されたり、無抵抗の市民が多く虐殺されました。マレーシアとシンガポールの村や都市では日本軍による組織的な敵性華僑とみなされた人達が犠牲され村という村は焼き払われています。
マレーシア、シンガポールでは、虐殺された人達の慰霊碑が確認されるだけでも50箇所以上あります。
【死の鉄道】と呼ばれた泰緬鉄道(たいめんてつどう)
イギリス軍がシンガポールで日本軍に敗北すると、現地に住む人達や降伏したイギリス軍、オーストラ
リア軍、イギリス植民地軍のインド人は、強制労働のためにタイの鉄道建設に送られ、過酷な強制労働に加えて伝染病や栄養失調でその多くが亡くなりました。
捕虜が休む場所も粗末な小屋で熱帯の伝染病が蔓延していたと言います。さらに過酷な労働と伝染病に加えて、食事はわずかしか与えられなかったために餓死者が大勢いたそうです。
インド侵攻作戦のために建設されたタイ鉄道の建設は、あまりに過酷な強制労働だったために別名[死の鉄道]と呼ばれています。映画【戦場にかける橋】として映画化されていますが、現実はもっと過酷で残酷な仕打ちを受けていたことが分かります。
シンガポールは日本軍占領下では昭南島(しょうなんとう)という名前で呼ばれていました。その昭南島(シンガポール)で行われていたのが、中華系シンガポール人の虐殺です。
他にも、日本では韓国での慰安婦問題が取り上げられていますが、シンガポールでも、かつて日本軍がシンガポール人女性を拉致して強制的に慰安婦として働かせていました。
日本軍がマレーシアとシンガポールを占領した後、各地で若い女性が日本軍の性的な暴行を受けたり、レイプされたり、女性が抵抗すると子供を銃剣で殺されたり、マレーシアとシンガポールの街や村はかなり悲惨な状態だったらしいです。
しかも、これはマレーシアやシンガポールだけでなく、日本軍が占領していたアジアの各地で同じようなことが行われています。
そういえば、フィリピン留学に行った時も似たような話を語学学校の先生と話したことがありました。
別の回でさらに詳しく話ますが、こういう日本の影の歴史を多くの若い世代が知らないのは、海外で仕事をしたり留学したり、いろいろな国の人と友達になり、そして話をする上で問題になってきます。
こういう悲惨な歴史を繰り返さないためにも、若い世代の人が知って欲しい歴史です。