とーしばブログ

こんにちは、とーしばブログのとしです。オーストラリア、ニュージーランド、カナダの3カ国でのワーホリの体験談、フィリピン、マレーシアでの留学経験。読書や勉強で得た知識や考えやニュージーランドでの投資についてブログで発信しています。

日本軍占領下のマレーシア・シンガポールの歴史 /マレーシア・シンガポール留学、移住で知っておきたいこと②

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こんにちは、とーしばブログのとしです。今回も前回と引き続き、日本軍占領下のマレーシア・シンガポールの歴史についてです。

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マレーシアやシンガポールに留学、または仕事をする上で知っておきたいのが、日本軍がかつてマレーシアやシンガポールなどアジアの国々を占領して植民地化していた歴史です。

 

アジア系の人がよく言うのが、日本人がアジアを占領して植民地化していたことを知らないということです。

今回は、さらに詳しく日本軍占領下のマレーシアとシンガポールの様子を見ていきたいと思います。

 

今回も記事を書くためにYouTube動画や本を参考にしています。気になる方はぜひチェックしてみてください。


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今回の記事を書くにあたってこの2冊の本を参考にしています。気になる方はぜひ読んでみてください。

 

 

 

マレーシアとシンガポールで行われた華僑の大粛正 

 

日本軍は当時、中国と国民党軍を相手に戦争をしていました。その国民党軍を後方で支援していたのが、マレーシアやシンガポールにいる中華系の人達でした。マレーシアとシンガポールが陥落した後、日本軍は中国を支援している華僑の粛正を始めました。

日本軍は中国の国民党を支援した人だけでなく、全く関係ない一般のマレーシア人やシンガポール人も数多く処刑しました。

最も被害が大きかったのが、シンガポール陥落後の1942年2月18日 から1942年3月4日にかけて行われた中華系シンガポール人の虐殺です。

現地の人々はSook ching と言って恐れていました。英語で日本軍による華僑大虐殺をSook Ching (スッチン)と言います。


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この華僑の大虐殺は計3回行われ5万人もの人が犠牲になりました。華僑だけでなく、中にはマレー系やインド系の人達も含まれていたと言います。

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これはSook Ching Inspection Center と呼ばれるシンガポールにある大検証検問所の跡地です。

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Googleマップで確認するとマーライオンやマリーナベイサンズがある中心街に位置しています。かつて、この場所に集められたシンガポール人の多くが日本軍の手により虐殺されました。

マレーシアの村でも同様に罪の無いマレーシア人の人達が敵性華僑とされて、老若男女関係なくジャングルに連行されて殺されました。当時、日本軍は抗日軍の弾圧のため現地の人を殺害したと主張していますが、無実の人もたくさん含まれていました。

 

日本軍の大検証を生き延びたリー・クアンユー

日本軍によるシンガポールでの虐殺を生き延びたのが、シンガポール初代首相リー・クアンユーです。リー・クアンユーは他のシンガポール人やマレーシア人と同様に、当初は日本人はアジアを解放すると信じていました。しかし日本軍の横暴さや残虐性を見て、すぐに日本人は侵略者だったことを理解して失望したと回顧録で語っています。

 

同じアジア人として我々は日本人に幻滅した。日本人は日本より文明が低く民族的に劣ると見なしているアジア人と一緒に思われる事を嫌ったのである。日本人は天照大神の子孫で選ばれた民族であり遅れた中国人やインド人、マレー人と自分は違うと考えたのである。

リー・クアンユー回顧録より抜粋】

 

このように占領下では、日本軍は大和民族こそが優れた民族であるというイデオロギーを広めるために、天皇の肖像を崇めることを強要したり、シンガポールにあった昭南神社参拝を強制したり、日本語を話すことを強制したり、軍人に礼をしない人を殴ったり、反抗する人や疑わしい人を拷問、処刑したりしました。大東亜共栄圏という日本人をトップにした世界を作る思想を広めようとしました。

かつてナチスドイツもヨーロッパでアーリア人(純粋なドイツ人)こそが優れた民族だとして、ナチスに抵抗した人や劣等人種とみなされたユダヤ人、スラブ人を虐殺したことと似ています。

 

アレクサンドラ病院の悲劇

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シンガポールを占領した日本軍は傷病者が収容されているアレクサンドラ病院を襲撃しました。日本軍は病院にいる負傷したイギリス兵を始め、働いていた看護師や医師、手術をしている患者の全員を病院の中庭で200名を殺害しました。

アレクサンドラ病院は今でも病院として使われていますが、こんな恐ろしい歴史があります。

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↑マリーナベイサンズがある中心部エリアの少し離れた場所にアレクサンドラ病院があります。

 

虐殺の最初の舞台となったチャンギビーチ

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日本軍による華僑虐殺の最初の舞台になったのがシンガポール・チャンギ国際空港があるチャンギビーチです。

華僑虐殺で日本軍にトラックに乗せられて連れ去られたシンガポール人は、山の奥やビーチなどに連れ去られて銃剣や日本刀で虐殺されたりなど、マレーシアとシンガポール各地に虐殺された場所が数多くあります。

さらに日本軍は新兵に軍事訓練として、捕虜になったシンガポール人をやマレーシア人を使って銃剣で突き刺す訓練をしています。こうした突き刺し訓練は中国の各地でも行われていたみたいです。

そして、日本軍により日本刀で斬られた華僑の首は、さらし首として抗日をさせないようにシンガポール市内でさらされていたと言います。

 

空の玄関窓口である国際空港があるチャンギビーチが、実は日本軍が虐殺を行った場所だと知ると日本人としては複雑な気持ちになります。

 

日本軍によるシンガポール空襲

 

日本軍はシンガポール侵攻作戦のためにシンガポールに空襲をしています。イギリス軍だけでなく市民も攻撃の対象にしています。マレーシアに奇襲攻撃をした12月8日から空港が始まり、何度も空襲を行っています。シンガポール上陸作戦前になるとシンガポール市内への砲撃も激化します。

このシンガポール市民に対する無差別攻撃で多くの一般市民が犠牲になりました。

 

紙切れ同然の軍票、日本軍のバナナ紙幣

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日本軍はシンガポール、マレーシアを占領している時に紙幣の代わりに発行していたのが軍票です。 この軍票は当時、アジアの各国で日本軍が使っていました。しかし、実際にはタダ同然の紙切れで、現地民からはバナナ紙幣と揶揄されていました。英語ではBanana Note バナナノートと呼ばれています。どうやらシンガポールでは、お土産でバナナ紙幣が売られているみたいです。

 

そして、戦後、紙切れ同然の日本軍が発行したバナナ紙幣はマレーシアとシンガポールの経済に大きな傷跡を残します。

しかも日本政府は曖昧な対応をするばかりで、マレーシア、シンガポール市民に対して保証をしていません。

 

戦争の犠牲者を慰霊する血債の塔

シンガポールの中心部には血債の塔と呼ばれるシンガポール人虐殺の慰霊碑があります。この塔は戦後、シンガポール国民の寄付金によって建てられました。大検証を始め多くの人達が犠牲になったことを忘れないために毎年2月15日に追悼式が行われます。 日本軍がマレーシアとシンガポールを奇襲攻撃して始まった太平洋戦争、真珠湾攻撃より早く始まりました。

それを忘れないための慰霊碑はシンガポールを訪れた時にぜひ立ち寄りたい場所です。

 

リー・クアンユーの日本への批判

首相となったリー・クアンユーは池田元首相と対談した時に日本政府に対してこのような指摘をしています。

「ドイツが戦後、戦争の責任に向き合っているのに対して、日本政府は戦争責任について曖昧な態度を取り続けている。」と述べています。

確かに日本で靖国参拝はニュースでたびたび見かけますが、日本の首相がアジア人が犠牲になったことを詫びるということを発表したニュースはほとんど見かけません。

 

それは学校で習う歴史の授業からも現れています。ドイツではナチスの残虐行為や戦争犯罪について学校で習うのですが。日本の学校での授業でアジア諸国の人が犠牲になったことを学ぶ機会も少ないのが現状です。

 

日本が始めた戦争で中国を始めアジア人だけでも2000万人以上もの人達が犠牲になっているにも関わらず、こうした教育面やニュースで見る日本の首相の態度から日本は未だにアジアに対する責任を認めていないことが分かります。

We can forgive But we should never forget 許そう、しかし、忘れない

 

そして、戦後、リー・クアンユーが語った言葉に

「We can forgive But we should never forget 許そう、しかし、忘れない。」という有名な言葉があります。シンガポール史上、最も暗黒だった時代が終わり、戦後の復興のためにリー・クアンユーシンガポール国民にそう語りかけますが、国民と彼自身の心には深い傷が残されていたのではないかと思います。

 

だからこそ、僕たち日本人の若い世代が戦争を忘れてしまったら、また悲劇が繰り返されます。だからこそ自分達世代の日本人も戦争の悲劇について真摯に向き合うことが、平和につながると思います。