こんにちは、とーしばブログのとしです。
そこで「なぜ?鬼滅の刃がここまで広く受け入れられたのか?」を自分なりに分析してみました。
たしかに物語の背景や鬼滅の刃全体のストーリーの流れ、戦いのシーンや○○の呼吸という特徴的な技、魅力的なキャラクターたちの活躍が面白かったのですが、それは、ほとんどの人が分析しているので、それとは別の理由を考察します。
そして、鬼滅の刃には、アンチが存在する理由についても考えてみました。
ジャンプの根強いファンであればあるほど、アンチな人がいる気がします。それもそのはずで、鬼滅の刃の主人公、【竈門炭治郎】は、今までのジャンプの主人公像とは一線を画するんです。
だからこそ、一部の人は、伝統的なジャンプの主人公とは違うのに違和感を持つのではないかと思います。逆にそれが人気の理由でもあるんですね。
炭治郎は明らかに今までの王道のジャンプの主人公のキャラクター像とは違うんですよね。しかし、そのキャラクターが広く受け入れられるということが現代社会を象徴していると思います。
今回は【漫画版】ではなく、あくまで【アニメ版シーズン1】をもとにして分析しています。
鬼滅の刃が人気の理由は徹底した他者への共感
鬼滅の刃が人気の本当の理由は、主人公が持つ【他者への深い共感】だと思います。
このアニメの大きな特徴として、敵キャラである鬼にも鬼になるまでの辛い過去があって、それぞれに深い苦しみを持っているところです。
倒した相手の持つ悲しみや苦しみにも寄り添って涙する優しい主人公だからこそ、多くの人に感動を与え人気を呼んだのではないかと思います。
味方のキャラクターもそれぞれ、辛い過去やいろいろな悩みを持って生きています。
『鬼滅の刃』に当時するキャラクターは、敵味方に関わらず、何かしら苦しみを抱えて生きています。
『鬼滅の刃』を見た人は、その苦しみに寄り添って、一緒に涙する炭治郎に深い共感を感じるんですね。
鬼滅の刃の人気の大きな理由は、炭治郎が敵味方問わず、さらに敵と戦って亡くなったサブキャラにまで共感して手を差し伸べようとするキャラクターが今までのジャンプ主人公とはまた違う魅力なんだと思います。
今までのジャンプ主人公と炭治郎の違いとは?
では、もしも竈門炭治郎が今までのジャンプ主人公像だとどういうストーリーになるのでしょうか?
ジャンプの王道といえば、ワンピースとナルトのような友情、努力、勝利の物語です。
『鬼滅の刃』を今まで通りのジャンプに当てはめて考えてみると、、
⇒竈門炭治郎は、修行して誰よりも一番強い柱になって、大切な家族や仲間を守るために鬼と熾烈なバトルを繰り広げ、鬼のいない平和な世界を作るというストーリーになるんだろうと思います。
ジャンプの伝統的な価値観だと【仲間】【夢】【努力】がストーリーの重要なキーワードになってきました。
今までのジャンプなら、主人公が激怒して覚醒するのは、大切な仲間が傷つけられたり、自分や仲間の夢を笑われることです。
主人公は、新しい必殺技を覚えるために必死に修行して、師匠から新しい技を伝授されます。そして新しい必殺技で強い敵を倒します。
夢は、周りから認められること、海賊王や火影など仲間を守れる強い存在になることで、旅で出会った仲間たちと一緒に強い敵に立ち向かいます。
もしも竈門炭治郎が悟空のようなキャラクターだったら?
そして炭治郎が『ドラゴンボール』の孫悟空のようなキャラクターだったら、強い敵を見るとワクワクするでしょうし、主人公のライバルもひたすら強くなることにこだわり、主人公も強い相手と戦ってより強くなることを求めます。
切磋琢磨してお互いの強さを認め合い友情を深めお互いに成長するというストーリーが王道のはずです。
『鬼滅の刃』竈門炭治郎の場合
一方で『鬼滅の刃』のストーリーは、鬼に家族全員を殺され、唯一生き残った妹の禰󠄀豆子を人間に戻すために鬼殺隊に入隊するというものです。
『鬼滅の刃』での炭治郎の目的は妹を人間に戻すことで、そこには夢という言葉は出てきません。修行のシーンもありますが、努力を積み重ねて新しい技を覚えたりということは、ストーリーの一部であって、そこまで重視されていません。
そして、主人公は、いきなり不幸のどん底に突き落とされます。主人公は最後まで自身の身に起こった大きな不幸を背負いながら生きていきます。
そして、そんな主人公だからこそ、他者の苦しみにも共感できるんです。
共感とは、相手と同じ目線で感情を共有し、物事を考えるということです。
これは同情や哀れみとは違います。もしも炭治郎が幸せで恵まれた存在で、他者に同情や哀れみを持つキャラクターだと、ここまで人気にはならなかったと思います。
炭治郎自身も深い悲しみを背負いながらも、敵味方全てのキャラクターにそれぞれの苦しみがあり、主人公が一緒に共感して寄り添う話です。
これは、今までのジャンプの主人公の中では、かなり異質な存在で一線を画しています。
底抜けの明るさと救いの無い暗さが同居した作品
Netflixでアニメを観ていて思ったのが、『鬼滅の刃』の話全体は、実はかなり重いということです。そして、残酷なシーンもわりと多めで子供が観ても大丈夫かな?と思ってしまいます。
逆に底抜けに明るいギャグシーンや面白いキャラクターとのバランスが取れていて、幅広い年齢層にも楽しめる作品なのだと思いました。
よくよくストーリーを見ると暗い話とギャグシーンが交互になってるんですよね。これは重い話が重くなりすぎないように上手く配慮されているからだと思います。
テンポ良く進む、単純で分かりやすいストーリーや○○の呼吸などの子供が真似しやすい技の名前、かわいいキャラクターやカッコいいキャラクター、面白いギャグシーンなどが多いので家族で一緒に楽しんで観れる要素が多いアニメです。
明るいだけでもダメだし、暗いだけならもっとダメ、こういうバランス感覚も人気の理由なのでは無いかと思いました。
『鬼滅の刃』にアンチがいる理由
そして、ジャンプを愛するコアなファン層の中にはアンチがいることも納得ですし頷けます。
ジャンプの主人公といえば、修行してどんどん強くなるところが魅力のはずです。
しかし『鬼滅の刃』でジャンプ名物である修行のシーンはそこまで多くないですし、主人公はいつのまにか水の呼吸の技をいろいろ使えるようになっています。
今までだったら、一つ一つの技を努力して習得するはずです。
そして、ジャンプのキャラクターは仲間を守るために自分よりも強い敵キャラと戦うところが魅力のはずなのに、いちいち敵キャラに同情するようでは隙がありすぎます。
もし、敵がずる賢い相手だったら、主人公は確実にやられていますよね?
作中の面白いシーンと残酷なシーンとのギャップに違和感を感じる人もいると思います。
そして、どこかで見たことのあるキャラクターや技、戦いの描写など、今までのジャンプ人気作品の寄せ集め、パクリという印象も受けます。『鬼滅の刃』って、ところどころナルト要素強めなんですよね。
なので、アニメや漫画に詳しく、少年ジャンプの大ファンという人のアンチが多い感じがします。こういう部分だけを見ると、「なんで鬼滅の刃がここまで人気なの?」という意見も分かります。
ジャンプの定番である【夢】や【努力】という言葉が現代社会には合っていない
今の時代、ジャンプ漫画の王道である夢や努力という言葉そのものが現代社会には、合っていない気がするんですよね。
むしろ、なろう系や異世界転生系、ハーレム系、世界系など、主人公が努力をそこまで必要としない漫画がメジャーになっている気がします。
こういうところからも、多くの人は【夢】や【努力】という言葉に以前ほど、共感出来なくなってきているのではないでしょうか?
そんな時代背景として、まず社会の階層化、経済格差と貧困化があると思います。
多くの人には、いくら努力したって、もともとお金持ちだった人や親から才能を受け継いだ人、顔や性格が良い人にどうやっても勝てないというある種の諦めが根底にはあると思うんですよね。
最近話題になった、マイケル・サンデル教授の著書『実力も運のうち』で、本人の努力すら、努力できる遺伝子によるもので、社会的に成功した人は、たまたま運が良かったり、環境が恵まれていたからだという、能力主義(メリトクラシー)を批判したことが大きな話題になりました。
今の時代では、ジャンプの王道である、努力してどんどん強くなるというストーリーや人間的に大きく成長するというストーリーには共感しづらいのかも知れません。
ジャンプ漫画と【夢ハラスメント】
そして、日本では【夢ハラスメント】という言葉があります。いわば【夢を持たなければいけない】という強迫観念のようなものを持たされることです。
今の時代、ジャンプの主人公のように【夢】を必死追いかけて、努力できる人がいったいどれくらいいるのでしょうか?
むしろ、「無理に夢を持ったり、何かを努力しなくて良いんじゃないか?」と考える人が多くなっている気がします。
なかには、「何かを頑張ったり、夢を持ったところで無意味だ」という意見もあると思います。
格差が広がり、階層化された社会では、いくら努力や夢の素晴らしさを語っても多くの人には共感しにくいと思います。
一方で「努力できないのは自己責任」という言葉もよく見かけます。
たとえ、夢を追いかけたとしても、怪しいインフルエンサーや情報商材屋、マルチ商法が世の中に溢れていますし、そういう人たちに都合よく利用されて、騙されたり、食い物にされるということも起こります。
そういう背景もあり、今までのような努力型の主人公像よりも、他者を理解し思いやる炭治郎のような優しい主人公に多くの人が共感したのかもしれません。
みんなそれぞれの生きづらさを抱えて生きている
ここで最初に戻りますが、だからこそ一方的に強くなる主人公、夢を追いかけて努力する主人公よりも、敵も味方も苦しみを抱えて生きているということを理解して、苦しみと悲しみに寄り添う主人公が人気を得たのでは無いかと思います。
敵キャラの鬼も、もともとは普通の人間です。
鬼になった人たちは、世の中の生きづらさと苦しみを抱えて生きているうちにいつの間にか鬼になってしまいました。
他のジャンプ作品だと、倒した敵キャラの手を握ったり、その悲しみに共感したり、手を合わせたりという描写は描かれてこなかったと思います。
それこそが鬼滅の刃の大きな魅力ですし、共感されるポイントです。
今までのジャンプだったら、敵キャラは、主人公が強くなるための踏み台だったり、新しい技を試すためと実験台だったり、ただ単に主人公が次に進むために倒されるだけの存在でした。
鬼滅の刃に出てくる鬼とは、いわば切り捨てられた弱者です。弱肉強食の資本主義社会から取り残された人たちの姿だと思います。
そういう新しい主人公像が求められる時代だからこそ、鬼滅の刃は異例の大ヒットを記録したのだと思います。