今回はあまり知られていないオーストラリアの2ドルコインの歴史についてです。
この2ドルコインにはサザンクロスの下にアボリジニーの男性の絵が描かれています。
きっとオーストラリアにワーホリや留学に来ていた人はお馴染みのコインではないでしょうか?
この2ドルに絵が描かれているアボリジニーの男性はグウォヤ・ジュンガライ(Gwoya Jungarai 1895年〜1965年)という名前です。
彼はノーザンテリトリー、アリススプリングスの北西約200キロにあるタナミ砂漠で生まれました。
そして、彼は1928年に起こったオーストラリア中央部のコニストンの虐殺を唯一生き延びたアボリジニーとしても知られています。
↑タナミ砂漠はアリススプリングスの北西部に位置しています。
そしてGoogleマップで見ると彼の生まれたタナミと虐殺が起こったコニストンとは近い位置関係にあることが分かります。
彼は中央オーストラリアのコニストン牛舎近くで起きた虐殺を生き延びましたが、彼の親戚の多くは虐殺されました。そして彼は捕らえられますが、なんとか脱出してアルトゥンガという地域に逃げ延びたと言われています。
公式記録によると虐殺された人の数は31人ですが、他の調査では虐殺された男性、女性、子供の数は70人〜最大110人になると言われています。
この事件の時代背景として、もともと住んでいたアボリジニーの人々は入植してきたイギリス人によって住む場所を追われます。
入植者たちによって祖先が守ってきた土地を占有されたり、アボリジニーの聖地を荒らされたことで両者の間では争いや対立が絶えなかったようです。
虐殺を生き延びたあと、ジュンガライはブーメランを作りをして1ポンドで販売していました。
その様子から彼は「1ポンドのジミー」として知られ、その名がオーストラリア中で知られるようになります。
ワルピリ族の長老である彼はまた、伝統的なアボリジニー部族の弁護士、土地管理人、仲介者、訪問者のガイドもしていました。
さらに、アボリジニーの伝統的な法律やアボリジニー文化の知識が将来の世代に受け継がれるように活動していました。
そんな彼を撮った写真が1936年に[ウォーク・アバウト]という雑誌の表紙に掲載されると、ジュンガライは一躍世界の注目を集めました。そして1950年に彼の写真が再び雑誌の表紙に載り、彼の肖像画が絵描かれた切手も販売されました。
そして、1988年ジュンガライの肖像が2ドルコインのデザインとして採用されることになります。
当時、オーストラリアの2ドルはコインではなく紙幣でした。
王立オーストラリア造幣局によると、新しい2ドル硬貨のデザインは「伝統的なオーストラリアのアボリジニの頭と肩の表現、サザンクロスの表現、オーストラリアの植物相の表現」が求められていました。
コインをデザインするとき、コインの「裏」の理想的なアボリジニーの男性の肖像としてジュンガライの肖像が選ばれました。
しかし、彼が生き延びた虐殺についてや植民地時代のアボリジニーの歴史についてはまだまだ知られていないのが現状のようです。