とーしばブログ

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ユダヤ人問題の最終的な解決策のヴァンゼー会議があった場所

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こんにちは、とーしばブログのとしです。

 

この前、ヴァンゼー会議が行われた、ヴァンゼー会議の開かれたヴァンゼー別荘に行きました。

 

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ヴァンゼーはベルリンの中でもとりわけ美しい場所ですが、

 

この場所で、ナチス親衛隊長官のヒムラーの右腕であるハイドリヒによって、1942 年 1 月ナチスの高官が一同に集まり[ユダヤ人問題の最終的解決]と呼ばれるナチスドイツによるユダヤ人虐殺と民族浄化について話し合いをした場所です。

 

[最終的解決]という名称は、大量虐殺を隠すためにあえて分かりにくく曖昧な名前にされていました。

ヴァンゼー会議が開かれたのが、1941年6月から始まった独ソ戦が始まったちょうど半年後にあたります。

 

東ヨーロッパでは、すでにアインザッツグルッペン ( ナチスの虐殺専門の部隊)による組織的なユダヤ人や捕虜になったソ連兵士、ジプシーなどに対する虐殺が繰り返されていました。

 

その虐殺をより、機械的で かつ大規模にするために行われたのがヴァンゼー会議でした。

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ヴァンゼー会議とは?

1942年1月20日、ナチス親衛隊(SS)や政府の各省庁代表たち15人が集まり、欧州のユダヤ人の移送・殺害計画を協議した。「ヴァンゼー会議」と呼ばれる。アドルフ・アイヒマンが作成したとされるその議事録は驚くほど克明に、虐殺の計画とドイツ国家の積極関与を記録している

会議が開かれる以前からアインザッツグルッペンという部隊は占領下の東ヨーロッパやソ連においてヨーロッパユダヤ人を組織的に殺戮していた。

しかし、ナチス政権は広大な占領地域に分散し居住する多数のヨーロッパ・ユダヤ人を絶滅させるために必要な官僚組織の協調体制を確立できずにいた。官僚組織は異なる省庁に属し、それらはしばしば互いに競合していたからである。よってナチス政権は「ホロコースト計画完遂の阻害要因は、各省庁がヨーロッパ・ユダヤ人の抹殺を必ずしも優先事項として取り扱わなかったことにある」と考えた。

 

 

あまり有名な場所ではありませんが、ドイツに来たら一度は訪れたい場所です。

 

博物館は無料で見学できナチスによる大量虐殺の歴史について学べます。

この博物館では実際に話し合いに使われた資料を見ることができます。

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これらはハイドリヒやアイヒマンなどナチスの高官がユダヤ人虐殺についてまとめた資料です。

ヨーロッパに住んでいるユダヤ人の人口に関する資料やドイツとヨーロッパからユダヤ人を絶滅させなければいけない理由について、ナチスドイツの視点から書かれています。

 

合わせて観たいヴァンゼー会議についての映画とドキュメンタリー

ベルリンのヴァンゼーを訪れる前に予習として観ておきたいのが、、

 

BBC 制作のドキュメンタリー 

Auschwitz: The Nazis and 'The Final Solution (アウシュビッツ ナチスホロコースト

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これはアウシュビッツ強制収容所が小さなポーランド軍の兵舎だった頃から、ナチスの最も有名で悪名高い強制収容所になり終戦前後に解放されるまでのドキュメンタリーです。このドキュメンタリーの最初の方にヴァンゼー会議についての話が出てきます。

 

そして、2023月1月20日公開予定の[The Conference: ヒトラーのための虐殺会議] です。

実際の場所を訪れてから映画を観ると印象も違うのではないかと思いました。

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