とーしばブログ

こんにちは、とーしばブログのとしです。オーストラリア、ニュージーランド、カナダの3カ国でのワーホリの体験談、フィリピン、マレーシアでの留学経験。読書や勉強で得た知識や考えやニュージーランドでの投資についてブログで発信しています。

ベルリンのWG探しで東ベルリン時代の体験談を聞けた 【ドイツワーホリ】 

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こんにちは、とーしばブログのとしです。

ベルリンでのWG探しにめちゃくちゃ苦労しているのですが、たまには良いこともあって。

 

この前、WGの見学でベルリン在住の60代のポーランド系ドイツ人の情報から冷戦当時の東ベルリンの体験談を聞くことができました。

今回は東ベルリン時代の体験談をシェアしたいと思います。

 

東ベルリン時代を知る年配の女性から当時の様子を聞かせてもらった

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その方は、東西冷戦が終結するまで東ベルリンに住んでいて、現在も旧東ベルリン地区に住んでいます。もとはポーランド出身だそうです。両親はポーランド人で小さい頃に東ベルリンに来たんだそうです。

 

ホーシェンハウゼン収容所について

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現在では一般公開されていますが、当時ベルリンにあるホーシェンハウゼン収容所には、ソ連に対して反体制的とされた人たちが収容されており、一般市民は近づくことができず、周囲は厳重に警備されており、中で何が起きているのか分からない状態だったと言っていました。

 

僕が思うにソ連だけでなく、ナチス強制収容所も、まさしくそんな感じで一般市民は立入禁止で周囲は厳重に警備されていたんだと思います。

ベルリン郊外にあるザクセンハウゼン強制収容所は、もともとナチスの収容所だったものをソ連も反体制的な人を収容する収容所として使用していたという話も、当時のソ連では極秘で、あとから知ったと言っていましたね。

だからこそ、ドイツは歴史教育に力を入れているのだと納得しました。

さらに、当局はこうした軍関係の施設の写真を撮ることを厳しく取り締まっており、見つかれば捕まると言っていたのも印象的でした。

 

シュタージによる取り締まりが厳しかった東ベルリン

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ソ連の秘密警察シュタージは、東ベルリンの市民を常に監視しており、家の電話には盗聴器が仕掛けられて、反体制的なことを言っていないかチェックされると言っていました。

手紙もシュタージによって開封され反体制的なことを言ってないか検閲されていたらしいです。

 

ちなみに、あのプーチン大統領も東ベルリンでシュタージとして働いていて、ベルリンの壁崩壊を目の当たりにしたことで、今のプーチンの思想とウクライナ侵攻に繋がったと言われています。

 

西側の文化はソ連では堕落した文化とされ、国営の映画館でいかに西側の文化が堕落しているかをアピールするプロパガンダ映画を上映したり、西側の文化は厳しく取り締まられていたらしいのですが…

 

意外と、東ベルリンの人々はこっそり西側のラジオを聴いたり、西側のテレビが観れたみたいです。

なんとビートルズなんかもテレビで観ていたと言ってました。

 

しかし、ヒッピーのファッションやロン毛は取り締まりの対象だったんだそうで髪の長さは厳しくチェックされたらしいです。ヒッピーとは当時アメリカを中心とした西側で若者の間で流行ったファッションスタイルです。

 

 

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そして驚いたことに西ドイツの人が東ドイツに入るのは許可されている代わりに名前や住所を記録されるらしいです。

チャックポイントチャーリーでは、実際に検問が行われていたそうです。

 

さらに西側の食べ物や商品は、持ち込みできた代わりにビニール袋に書いてある商品の広告は、取り締まりの対象だったので、ビニール袋の広告が見られないように裏返しにして使っていたらしいです。

 

シュタージによる取り締まりが厳しかった東ベルリンですが、教会だけはシュタージも立ち入ることができない場所だったんだそうです。

この話を聞くとライプツィヒ聖ニコライ教会ライプツィヒでの民主化デモとベルリンの壁崩壊の始まりの場所になったのも納得でしたね。

 

 

ジョージ・オーウェルの[動物農場]をこっそり読んでいた

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その人は、友達に頼んでソ連では禁止されていた西側の本をこっそり持ってきてもらっていて。


とりわけジョージ・オーウェル著 [動物農場]は見つかると大変なことになるから、夜遅くに布団を被って、小さな明かりでこっそり読んでいたと言う話が興味深かったです。

 

[動物農場]といえば、ソ連スターリン政権を批判した本なので、シュタージに見つかったら本当にとんでもない目に遭う可能性があったんだと思います。

 

ベルリンの壁崩壊について

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1989年11月、シャボフスキーの勘違いと失言で起きたベルリンの壁崩壊は、その方いわく にわかに信じがたく、壁の崩壊の2日後に知ったと言ってました。

通りには多くの人だかりができていて、みんな西ベルリンに殺到していたんだそうです。

そして東ベルリンの人々が最初に行った場所はマクドナルドだったんだとか。マクドナルドは西側の文化の象徴的な場所だったんでしょうね。


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そういえばグッバイレーニンでも西側に人々が殺到する様子が出てきます。当時の東ベルリンの様子を知るのにとてもオススメの映画です。

 

最後に

WG探しは本当に大変ですが、こうした日本では聞けないような貴重な体験談を聞くことができたのは良かったですね。

東ドイツの体験談を聞いて、自由に音楽を聞いたり、本を読むこと、自由に考えること、海外旅行だって当たり前じゃないし、民主主義って本当に大切だなって思いましたね。