こんにちは、とーしばブログのとしです。この前、ベルリンにあるプロツェンゼー刑務所を見学に行きました。入場料は無料で、この刑務所は1945年4月30日、戦争が終わる直前までナチスの刑務所として使われていました。
プロッツェンゼー刑務所は、ナチスドイツ時代に反ナチスの体制だった人たちが処刑された場所でドイツ国内だけでなく、ヨーロッパ中から不当に逮捕された人が収容され処刑された場所です。
プロッツェンゼー刑務所は1879 年に建てられ1200 人の囚人を収容できるスペースを持っており
政治犯を収容する施設なのでナチスの強制収容所とは異なるものの、本質はナチスにとって邪魔な存在を排除するための場所です。
1933年にヒトラーが政権を握った後、プロッツェンゼー刑務所では共産主義者、社会主義者への弾圧が激しくなります。
この処刑室に絞首刑のためのフックが取り付けられています。
↑まさにこの場所で、1933年〜1945年にかけて、20カ国から約2800人の人がナチスに逮捕され斬首または絞首刑に処されました。この場所には今でも犠牲者を追悼する花が添えられてらいます。
プレッツェンゼーの刑務所の庭では、約 56人もの人が斧で斬首されました。 1936年10月14日ヒトラーは法務大臣フランツ・グルトナーの提案を受けてギロチンでの処刑を執行していたとのことでした。
1939年、第二次世界大戦が始まると、処刑による死者数はさらに増加しました。
ミュンヘンの白バラ抵抗運動のメンバー、ゾフィーショルもミュンヘン大学で反戦のビラを撒いていたところを逮捕されミュンヘンのシュターデルハイム執行刑務所でギロチンで処刑されています。
この場所は、いかにナチスが残酷な方法で人々を処刑していたかがわかる場所です。
1944 年7 月(7月20日事件) のヒトラー暗殺のクーデター未遂に関与したレジスタンスの多くが処刑された場所でもあります。
[ヒトラー暗殺 13分の誤算]という映画の最後の方にヒトラー暗殺未遂事件に関わった将校の処刑シーンが一部出てきます。それが行われたのがまさにこの場所でこの処刑場では、見せしめのためにピアノ線が使われて時間をかけて絞殺する残虐な方法で絞首刑が行われました。
戦争開始以来、脱走、良心的兵役拒否などの罪での死刑判決は、ドイツの敗戦までに 3万件以上になりました。
この刑務所が赤軍によって解放されたのが終戦の直前の1945 年4月25 日、つまり、ここではそれまでの間ずっと処刑が行われていたということです。
しかも1945年から最近の2013 年まで、プロッツェンゼー刑務所は少年拘置所として使われていたみたいです。
そんな怖い場所が住んでるWGの3駅くらいの場所にあり、自由や民主主義について深く考えさせられました。
今のウクライナ、ロシアのことも考えて、ロシアでも独裁政権に反対する人が次々に逮捕される動画を戦争が始まった直後の時期に見たので、今でも世界では同じようなことが起きてるんだなと感じます。
プロッツェンゼー刑務所の横には現在も使われている刑務所も併設されており、政治体制によっては恐ろしい使われ方もするし、高い壁に囲われて中で何が行われているのか全く分からない状態だなと思い、怖いような複雑な気持ちになりました。