こんにちは とーしばブログのとしです。
2019年12月ベルリンに旅行に行った時に日帰りで、ポツダムに行ってきました。ポツダムといえば、歴史の教科書で習ったあのポツダム宣言のポツダムです。
↑チャーチル、トルーマン、スターリンの三巨頭が写ったポストカード
場所はベルリンから電車で50分ほどの場所にあります。ポツダムって意外とベルリンの近くだったんですね。
ポツダムでは戦後の世界についてや日本の戦後処理がアメリカ、ソ連、イギリスの三カ国で話し合われました。ポツダムは小さな町でありながら、日本の戦後と深い関係があります。
ポツダムの他にもテヘラン、ヤルタ、ポツダムで戦後の世界秩序について会談がありました。
そして最後の会談が行われたポツダムは戦後の世界秩序の震源地となった町の一つです。
現在の日本の領土問題や戦後の日本を形作った場所です。
教科書では名前を聞くだけのポツダムですが、実際に訪れて雰囲気を感じてこそ分かる歴史の一面が見えてきました。日本は毎年8月15日が終戦記念日ですが、正式には9月2日に無条件降伏を受け入れました。
ポツダムは戦後の各国の問題を作った勝者の分割の場でありながら、意外なほどひっそりとした場所でした
こんなひっそりした邸宅で戦後について話し合いがされてたんですね。
日本語の音声ガイドもあるんで、気になる方はワーホリや留学や旅行でドイツを訪れた際に行ってみてください。歴史について学ぶいい機会だと思います。
勝者の分割は卓上で
どの時代でも強者が敗者をどう扱うかを決めます。どのように世界を統治して切り分けるか? 世界のパワーバランスは卓上の話合いで決められるんですね。 そこに多くの人達のその後の運命が関わってるのにも関わらずです。
敗戦国ドイツと日本の戦犯への裁判、ドイツの分割統治、戦後の賠償責任、無条件降伏後の日本の統治、そして原爆の投下の有無、東西冷戦の世界秩序など
トップの人達にとっては、まるで誰が一番大きなケーキを切り分けるか?のように造作のないことかもしれません。
戦後から今まで続いてきた世界の問題は、たった数人のトップの駆け引きで決まってしまいます。
数人の意思決定と駆け引きで、世界中の人々の運命が決まってしまいます。そんな歴史の断片が垣間見れた場所でした。
ポツダムの会談ではアメリカとソ連そしてイギリスが戦後について話し合いました。
しかし、戦勝国フランスは会談には呼ばれていません。 イギリスもほとんど会談では影響力を持っていませんでした。
つまりポツダム会談とは
アメリカとソ連の2カ国で戦後の世界秩序と世界の分割の話し合いをする場だったのです。
アメリカの西側陣営とソ連の東側陣営の構図はここから始まります。冷戦や核開発競争、アメリカの日本の占領政策も全てこの小さな町から始まります。
ドイツはすでに敗北し、日本軍が太平洋の島々で勝ち目のない絶望的な戦いをしている中で、テヘラン、ヤルタ、ポツダムではすでに戦後の世界についての話合いがされていました。
日本が連合軍側の無条件降伏を受け入れなかったことにより日本に対して核兵器の使用が決定されます。その後の広島と長崎の運命を決定付けたのもこの場所だったのです。
当初は日ソ不可侵条約により、日本とアメリカの戦争を傍観していたソ連ですが、アメリカが原爆を完成させたことを知り、ソ連は日本の降伏の直前に突如、満州に侵攻して日本に戦線布告します。
ソ連は アメリカVSソ連の新たな時代を見越して、戦争が終わる直前に少しでも領土を拡大する思惑があったのかもしれません。
ソ連の満州への侵攻や今も続く北方領土問題、その後の朝鮮戦争 ベトナム戦争 アフガニスタンでの内戦 につながっていきます。
イギリスとフランスの終焉の地
一方でフランスとイギリスはポツダム会談を境に急激に衰退していきます。
イギリスはポツダム会談にアメリカのおまけという形で参加 、フランスは会談に参加すら出来ませんでした。
今まで絶対的な力を持ち アジアやアフリカ そして世界を分割した二大勢力 フランスとイギリスは没落
ルールブリタニアと言われてフランスと共に世界の頂点に君臨したイギリス。
ナチスドイツには勝利したものの、第二次世界大戦によりイギリスの国土は荒廃、 二度の世界大戦により全盛期より力を失います。
アジアの植民地は新たに台頭した日本に取られ、アジアの駐留軍は日本軍との戦いで敗北、イギリス本土はナチスドイツとの戦いで疲弊します。
戦後 海外の植民地が次々と独立、もはやフランスとイギリスには植民地の独立を止める力はありませんでした。ポツダムはイギリスとフランスの終焉の地でもあるんですね
ナチスドイツと大日本帝国に勝利したアメリカとソ連、一方で大戦により急激に影響力を失ったイギリスとフランス
戦後ヨーロッパは西ドイツ東ドイツを境に
アメリカを中心とした資本主義陣営VSロシアを中心とした共産主義陣営に分かれて対立します。
世界はこの二つの勢力を軸に対立していきます。
核開発競争も苛烈になり、世界各地で核実験が行われます。 日本も終戦直前に広島と長崎に二つの原子爆弾が投下され甚大な被害が出ます。
戦後でもビキニ環礁での核実験が行われ日本の漁船が被害に遭っています。そして今でも世界各地に核実験の傷痕が残っています。
↑Googleの地図上でも核実験のクレーターの跡を確認できます
核実験が行われた地域では、少数民族や島に住む島民が核実験の被害に遭っています。
そして今でも核実験による後遺症に苦しむ人々がいます。
新冷戦アメリカVS中国
アメリカとソ連の戦いはたくさんの課題を残し、ソ連の崩壊とともに終結。アメリカとソ連の戦いが終わります。
冷戦に勝利したアメリカの時代 パックスアメリカーナ(アメリカの世界秩序)の時代です
アメリカは世界の警察となり、内戦の調停や各国の力の均衡を保ってきました。
冷戦後はアメリカ一強の時代がしばらく続きます。
余談になりますが、そもそも英語を学ぶ裏の理由は世界で影響のある国の言語を学ぶということです。
イギリスに続きアメリカが世界に君臨したことで、英語はスタンダードな世界語の一つになりました。
中国も近年 世界での影響力が強くなっているので中国語も有力な言語になってきています。
しかし近年ドナルド・トランプ大統領がアメリカは世界の警察を辞めると宣言
アメリカは各国での戦争により徐々に疲弊して力が衰えていきます。
そこで新たに台頭してきたのは中国です。新たな冷戦アメリカvs中国の幕開けです
GAFAvsBATH 世界企業の台頭
21世紀の世界では新たに世界企業が力を付けてきました。
それがアメリカのGoogle Apple Facebook Amazon です。
対する中国はBaidu Alibaba Tencent Huawei です
今までのアメリカとソ連の国同士の戦いはアメリカと中国の企業同士の新たな戦いにシフトしました。
グローバル企業が国家よりも強力な力を持つ時代、アメリカのグローバル企業vs中国のグローバル企業の戦いも新冷戦の特徴の一つです。
世界は再び混沌の時代へ
ポツダムはイギリスとフランスの帝国主義の終焉の場所であり、米ソの新たな二代巨頭の時代の幕開けの舞台でもありました。
ポツダムはそんな歴史の転換点になった場所てすが、意外なほど地味でひっそりしていました。
でも歴史の教科書で学ぶだけでなく、実際にその場所に訪れることで見えてくる歴史があります。
そして、アメリカ一強の時代が終わり新たな大国として、中国が新帝国主義を掲げて台頭しています。
さらに世界各国では自国ファーストで移民を排斥するネオナショナリズムが台頭、世界は再び混沌の時代に突入しようとしています。
今後どういう時代になっていくのか?世界はどこへ向かうのか、歴史の断片をポツダムで垣間見た気がします。